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福岡高等裁判所 昭和27年(う)117号 判決

控訴人 被告人 粟篤吉

弁護人 堤牧太 後藤久馬一

検察官 長田栄弘 白土八郎関与

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

弁護人堤牧太の陳述した控訴趣意は同人及び弁護人後藤久馬一の夫々提出した控訴趣意書並堤弁護人の訂正申立書に記載のとおりであるから、ここに之を引用する。

堤弁護人の控訴趣意第一第二点及び後藤弁護人の控訴趣意第一点について、

しかし、農地調整法は自作農創設特別措置法と共に労働の成果を公正に享受させることを目的とし、既存の農耕地について調整乃至所有権の再分配を図ろうとするのが同法制定の意図であるから苟も従来一定の土地につき労費を加え肥培管理を行つて作物を栽培する事実が存するに於ては、それが正当な権原に基くものか否かに拘らずその土地は、耕作の目的に供される土地であり、前記各法律にいう農地と解するのを相当とすると共に前記法律制定の意図を考えるときは住宅敷地の焼跡又は運動場、宅地の一部を一時的に菜園その他農耕に使用しておるような場合は同法の対象たる農地より除外するのが相当である。従つて同法にいう農地であるか否かは現在の客観的状態に従つて判断せらるべく、土地所有者の主観的使用目的に関係なく、土地台帳等に記載せられている地目の如何によつても左右されないといわねばならぬ。そして検察官作成の和田文吾の供述調書及び之に添付の土地借用証、証人木下務の原審第三回公判調書中の供述記載に原審並に当審の検証の結果及び検第一三号(口頭弁論調書謄本)の記載を綜合すれば、原判決表示の土地四筆は極少部分を除き既に昭和六年六月一三日以来木下要市が耕作の目的で当時の土地所有者和田文吾との契約又は同人の土地管理人の了解の下に年年田又は畑として使用耕作し、昭和二二年四月要市死亡後もその相続人たる木下務において引続き前同様耕作して現在に至つたもので昭和二二年六月下旬頃被告人又はその妻絢が和田文吾から之を買受けた当時は勿論現況も依然田又は畑として米麦雑穀、野菜等の農作物が栽培せられておることを認めるに足り、木下父子のこの十数年間に亘る前記土地に投下した労費の成果は尊重せられるべきものであるから、農地調整法の対象となる農地であると解するのを相当とし、仮令所論のように該土地が本来住宅建設の目的で土地所有者の間に売買せられて来たもので、隣接地の情況も住宅地帯であり、又別府市役所及び所轄税務署において昭和二二年六月二五日公簿上従来田又は畑であつたものを宅地として地目変換の手続を了し、昭和二四年三月二五日には大分県知事により自作農創設特別措置法第五条第四号による農地としての非買収地域に指定せられたとしても農地調整法の対象となる農地であるかどうかを判定する妨げにはならない。

それ故原審が現況判断により前記四筆を同法にいう農地と解したことは相当であつて、論旨は弁護人独自の見解を前提として原判決の法律解釈、適用又は事実の認定を非議論難するもので到底採用することができない。

堤弁護人の控訴趣意第三点及び後藤弁護人の控訴趣意第三点について、

前段説示のように原判示の土地四筆は農地調整法のいう農地であるから、之が所有権、賃借権、地上権其の他の権利の設定又は移転には命令の定むる所により当事者に於て都道府県知事の許可又は市町村農地委員会の承認を受けなければならないことは同法第四条第一項の明定するところであり、右の許可又は承認を受けずに前記権利の設定又は移転をした時はその当事者が処罰せられることは同法第一七条の三(改正前の同法第一七条の四)の明定するところである。そして右の許可又は承認を受けなければならない当事者とは農地の売買即ちその所有権の移転の場合にありては、売主、即ち該権利を移転する者、若くは買主即ち該権利を取得せんとする者の何れかの一方を指すことは農地調整法施行令第二条第一、二項の規定上明かである。然るに検第二号乃至第七号(土地登記簿謄本)、及び当審証人粟絢の証人尋問調書中の供述記載並に所論指摘の書証に徴すれば本件起訴に係る昭和二二年六月下旬頃為された原判示の土地四筆の売買当事者は和田文吾(売主)と粟絢(買主)であつて、被告人は該売買の当事者でないこと(農地調整法第一七条の五にいう行為者にも該らない)を認めることができるので、粟絢を同法第四条違反者として同法第一七条の三の規定によつて処罰するは格別、被告人を同法によつて処罰することはできないものと言わなければならぬ。従つて被告人を本件土地の買受人と認めた原判決には所論のような事実誤認の違法があり、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明かであるから論旨は理由があり、原判決はこの点で到底破棄を免れない。

それで、爾余の論旨に対する判断を省略し刑事訴訟法第三九七条第三八二条に従い原判決を破棄し、更に本件は同法第四〇〇条但書を適用すべき場合と認めるので、次のように自ら判決する。

被告人は本件起訴にかかる売買当事者にあらず従つて之を処罰することができないことは前段説明したところにより明かであるから、同法第四〇四条第三三六条前段に則り、被告人に対し無罪の言渡をすることにする。

仍て主文のように判決する。

(裁判長判事 筒井義彦 判事 柳原幸雄 判事 岡林次郎)

弁護人後藤久馬一の控訴趣意

第一点原審が本件の土地を農地調整法に所謂農地なりと解して同法の罰則を適用したのは誤であると思う。農地調整法第二条第一項は『本法ニ於テ農地トハ耕作ノ目的ニ供セラルル土地ヲ謂フ』と規定している。即ちこれによつて見れば現に耕作に供せられている土地をその侭農地とする意味ではなく、その土地本来の使用目的が耕作の為めである場合に於てのみこれを農地とする趣旨であることは洵に明白である。従つて物理上土地の上に麦や大根等の作物があつても農地でない場合もあれば、その上に何の作物はなくとも農地である場合もあることは当然である。要するに或る土地が農地であるかどうかは、物理上その土地の上に現に作物があるかどうかの問題ではなく、四囲の情況より見たその土地本来の客観的使用の目的如何によつて判断すべきものである。而してこのことは右調整法の規定が『現ニ耕作ニ供セラルル土地』とせず殊更に『耕作ノ目的ニ供セラルル土地』と規定しているところより見るも洵に明白で疑の余地はないと思う。然らば本件の場合は如何、吾々は本件当時本件の土地の一部の上に何物かの作物のあつたことなどを争うものではないが、而しそれは本件土地の上に作物があつた、即ち土地が耕作に供せられていたと言う眼で見ただけの物理上の現象であつて、果してこの土地が耕作の目的に供せられていたかどうか、即ち四囲の情況より見た土地本来の客観的使用の目的如何とは全く別個の問題である。然らば次に本件土地の四囲の情況より見た客観的使用の目的如何、仰も本件の土地の地位は別府市大字別府より同亀川に通ずる海岸通りの電車通路に添う地点に位し(検証調書御参照)、その土地の一部は亀川第一耕地整理組合が住宅計画の目的を以て古く大正十四年に区劃整理に着手して昭和四年七月にこれを完成しており、又残る他の部分は右と相前後して梅谷清一が同じく住宅経営の目的を以て区劃整理を施行したのであるから(証人西半治、同須東忠三、同大平三七雄の各証言御参照)、本件当時に於てはその附近一帯の土地整理は総て完了し、住宅地としての道路も既に整然として備り、本件と一体を為す隣接地(被告人が本件土地と共に買受けた土地)には噴気口があり(検証調書御参照)、須藤忠三は昭和二十二年四五月頃にはこれを利用して製塩工場を設け(同人の証言御参照)、本件土地の周囲は殆んど総て住宅である(検証調書と検第十四号証第八項御参照)。さればこそ、世間一般はこの附近一帯を照波園住宅地と呼んでいる有様で、誰れも本件の土地を農地だなどと考えているものはないのである(検証調書並証人西半治、同久恒半治の証言御参照)。現に被告人がこの土地を和田文吾よりその当時の代金二十四万円で買取つた事実、即ちこの土地に対する当時の客観的価値の評価の点より押すも本件の土地が耕作の目的に供せらるる農地ではなく、社会通念上純然たる住宅地であつたことは一目瞭然であると思う。

然るに、独り亀川農地委員会のみは不思議にも本件の土地を農地だと認めたのであるが、その間の情実の有無は姑く措いて最も善意にこれを見れば、何分にも当時は委員会発足早々のことであり、且つ委員等は法律解釈の技術には素人であつたから、恐らくは、その判定に当り土地本来の目的の判断を忘れ、唯単に土地の上に麦や大根のあつたのを見て、これを以て直ちに耕作に供せられている土地即ち農地だと速断して前記調整法第二条第一項の解釈を誤つたのであろうことは、証人山村定の証言中に『農地と認定する標準は委員が常識で判断しました、当時現況の意味は厳格に解しておりました』との趣旨の供述あるを見るも易くその間の消息を窺うことができると思う。

而し、この誤を犯した委員会とても土地の実体には抗し難いと見え同会は本件の土地を農地と認めながらも、この時既に将来の都市計画の為め事実上農地としての買収を留保した一方、昭和二十二年七月には地方長官に対し正式にその指定方を申請し、同年十一月二十六日にはその目的を達し、更に同二十四年三月二十五日に至つては地方長官は本件土地を都市計画法第十二条第一項の規定による土地区劃整理を施行する地域として指定したのである(自作農創設特別措置法第五条第四号御参照)。思うに、これ等をもつてするも委員会が当初本件土地を農地だと見たことが既に誤であり、土地本来の客観的性質としては最初より住宅地であつたことはこれを領得するに難くないのである(検第十号証、証人山村定、同大平三七雄並に被第一号御参照)。

これを要するに、裁判所としては、殊に処罰法規を適用する刑事裁判所としては右農地委員会などの解釈に拘束を受ける道理はないのであるから、原審は須く右調整法の正しき解釈として本件の土地は農地でないと判断すべきであつたに拘らずこれを農地だと認定したのである。これ即ち事実の誤認か、農地に関する法律解釈の誤りであると思う。

第二点仮に百歩を譲つて本件の土地を農地だと仮定すれば、本件被告人の主観には当然錯誤の問題が起る筈である。即ち被告人としては尠くとも本件売買の成立当時に於てはこの土地を農地だなどとは毫末も考えていなかつたのである。立派な宅地として所有権移転登記のできる住宅地だと信じたればこそ相当代金を以て買受けたのである(後述第三点の問題はあるが、ここでは簡単に述べる為仮に被告人を買主とする)。このことは原審において被告人が終始一貫申述べているところであつて、本件土地売買の世話人である検事申請の証人須東忠三の供述(第十二回公判調書)によるも一点疑の余地はないのである。蓋しこのことは前掲第一点で述べた本件の土地の性質、被告人がこの土地を買受けるに至つた経過、買受け後の土地使用の目的等に思を致せば他の証拠を俟つまでもなく自明の道理であると思う。尚、本件の土地に関する市役所の証明、地目の変更、登記手続等は総て前記須東の依頼に基き売主和田文吾の代理人として永松桂七のやつたことで、被告人としては右永松の手で宅地に地目の変更ができ移転登記を受けたことを知つているだけで、その他手続の内容については毫も知らなかつたのである(原審公判におけを被告人の供述、第十二回公判調書中証人須藤忠三の証言、検第十五号証押被第二号の一乃至四御参照)。

因に、右永松が市役所の証明書によつて税務署で地目変更の手続をしたことは何にも同人に悪意のあつた訳ではなく同人としては当時世間一般に行われていた通りの手続をしたに過ぎないのである(第七回公判調書中証人友永勝未の証言御参照)。しかのみならず、地目の変更だけならばどんな場合でも委員会などの許可を要しないものでないかとも思うのである。右を要するに被告人が本件土地を農地に非ず宅地なりと信じて買受けたことだけは本件では動かすことのできない事実であり、これが即ち錯誤であると思う。

然るに、原審はこれに対し「被告人が錯誤に陥つていたとの証明は十分でなく却つて被告人は本件土地が農地であることを認識しながら買受けるに至つたものである」との趣旨を判示せられているが、これは恐らくは、被告人は当時本件土地の上に作物のあつたことを知つていたのだから、これ即ち被告人が農地であることを認識していたことになるとの見方ではないかと思うのである。而し弁護人としては何にも被告人が土地の上に作物のあつたことを知らなかつたから本件に錯誤ありと主張するものではない。勿論被告人としては当時本件土地の一部の上に作物のあつたことは承知していたのであるが、唯被告人としては本件の土地は前述の如き土地の性質上これを農地などとは考えておらず、且つ現に宅地として移転登記ができるから買受けたのである。換言すれば、被告人は土地に作物のあつたことは知つていた。而しこれは地方長官や農地委員会などの許可を要する調整法に所謂農地ではない、正当な宅地である、と信じたればこそ買受けたのであるから、この点に明かなる錯誤ありと弁護人は主張するのである。而も、本件に於ける農地は本件処罰規定の客体即ち客観的犯罪の構成要件である(農地調整法第四条、第十七条の三、同法施行令第二条御参照)。従つてこの点に関し錯誤があつて認識を欠けば犯意を阻却することは洵に当然である。

尤も、調整法は前掲の如くその第二条で農地の解釈を与えているのであるから、本件の被告人が若しこの解決を誤つたとすれば、これ一種の法律解釈の錯誤であるとも考えられる。而しこれが如何に法律解釈の錯誤であろうとも、本件での農地と言うものが犯罪の構成要件である限り、この錯誤(即ち土地の上に作物はあつても、土地の使命目的性質より見て所謂農地ではないと信じた道理ある錯誤)は、これを法律的に見れば刑法第三十八条第三項の所謂違法性の錯誤では勿論なく、一般構成要件に関する事実上の錯誤と毫も択ぶところはない筈であるから、これによつて犯意を阻却することは異論はないと思うのである(この点については民事訴訟法上の差押の効力の誤解は封印差押標示損壊罪の犯意を阻却するとの趣旨の大審院大正十四年(れ)第一八三一号大正十五年五月二十二日刑事部決定御参照)。

右を要するに、本件は被告人の主観に於て犯罪構成要件である農地の認識につき錯誤ありてその認識を欠ぎ、犯意を阻却すべき場合であるに拘らず原審はこれを認めなかつたのである。この点原審は事実の誤認が、然らされば法律の解釈を誤つたものであると信ずる。

第三点原判決は被告人は和田文吾から農地である本件土地を代金二十四万円で買受けたものであると認定されたのである。而しこれ恐らくは原審が本件関係証人等の本件土地は粟に売つた、或は被告人が買つたなどとの供述と被告人の不用意な供述とをその侭採用せられたのではないかと思うのであるが、而し、本当の事実は決して左様ではない。論より証拠、押検第二号(領収書)によれば本件の売主和田文吾は現に粟絢子をその買主として同人宛の代金二十四万円の領収書を差入れている。更に又検第二号乃至第七号(何れも登記謄本)によれば本件土地の所有権取得者は同じく粟絢子である。従つて正確なる意味に於ける本件土地の真の買主が粟絢子であることは本件では動かすことのできない事実である。

思うに、前掲関係者の供述の如きは同人等が法律的に正確な事実を弁えなかつたか、或は右絢子が被告人の妻である関係上これを同じもののように思つたか、或は又被告人と言う語を軽卒に絢子の代名詞の如く心得て使つたか、又被告人としては自分で責任を持つ積りで積極的の弁明をしなかつたか、何れにせよ、これ等は茶の間の雑談か、身代りの答弁のようなもので本件買主を決定する証拠としては採るに足らないものと思う。従つて領収書や登記の名義は粟絢子であつても、それは被告人がその名義を利用しただけのことで、法律上の真の買主も所有権取得者も総て被告人であつて、右絢子には何等の権利はない、との特別の反対証拠のない本件では、やはり前掲代金領収書と登記謄本によつて右絢子が買主であると見るが採証の定石であると思う。

右を要するに本件では土地の買主は絢子である。その所有権の取得者は飽くまで絢子であるが唯同人としてはその所有権を取得するまでの本件買受けの手続は被告人がやつて呉れたので一切何にも知らなかつたと言うに過ぎないのであるから、この点に関する原審の認定は如何にしても無理である。若しそれ、右絢子が本件の土地を買受けたことを前提の事実として而も被告人の責任を問はんとするなれば、それは別の話で本件の公訴のままでは如何ともすることはできないのである。何れにせよ原判決は被告人を本件土地の買主なりと認定した点に於て著しき事実の誤認があると思う。

以上何れの点よりするも原判決は破棄を免れないと信ずるので、当審に於ては原判決を破棄せられ、更に被告人に対しては本件証拠により直ちに無罪の御判決を仰ぎたいのであります。

弁護人堤牧太の控訴趣意

第一点原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかなる事実の誤認がある。即ち、原判決はその理由として、「被告人は法定の除外事由がなく且つ農地委員会又は地方長官の許可がないのに拘らず昭和二十二年六月下旬頃和田文吾から農地である別府市大字亀川字天神町二千二百八番地の三畑七畝二十三歩、同所二千二百六番の二田一反四畝九歩、同所二千二百七番の二畑一反六畝一歩、同所二千二百八番の一畑七畝十六歩を代金二十四万円で買受けたのである。」と認定して、之を農地調整法第四条第十七条の三に問擬処断して居る。而して判示土地の買受人か被告人であるか、その妻粟絢子であるかは後で論証することゝし、判示の頃被告人の交渉により和田文吾との間に判示土地の売買が行はれたことは争いないが、被告人は原審第一回公判の冒頭に於て「公訴事実中農地であると言う点は否認する、本件は宅地であるならば登記により売買契約をするか若し宅地でないならば買受けないと言う条件付であつたのです」と弁明し被告人に対する司法警察官の第一回供述調書の記載も同趣旨の供述となつて居る。ところが農地調整法はその第二条第一項に於て「本法に於て農地とは耕作の目的に供せらるゝ土地を謂ふ」と定義して居るからその法意から見て当該土地本来の使用目的が耕作に供せらるべき使命を有するものを農地と解すべきもので現に耕作に供せられている土地を農地と言うべきではない趣旨であることその法文上明らかであつて、その土地の位置、形状、周辺の状況等により判断すべきものであつて或る土地の一部に或る時期に農作物が現存して居るためその土地の全部を農地と認めるべきものでないと信ずる(此点に付ての詳細は弁護人後藤久馬一氏提出の控訴趣意書第一点を援用します)。此等の観点より判断すれば本件土地は右売買当時は宅地であつて農地ではなかつたものと認めるのが本件記録上妥当であると信ずる。即ち、(1)  原審検証調書竝付属見取図及原審証人西半治、同須東忠三、同大平三七雄の各証言によれば本件土地竝之に隣接する一団の土地は別府市より同亀川に通ずる海岸通りの電車線路に添う地点に位し、その土地の一半は亀川第一耕地整理組合が住宅計画の目的を以て古く大正十四年頃区画整理に着手して昭和四年頃完成されて居り、他の一半は元県立農学校の敷地跡を梅谷清一が払下を受け住宅経営の目的を以て個人として区画整理を施行したもので、その付近一帯の地域は住宅地としての区画整理を了し本件土地売買の頃は縦横に相当の幅員を有する道路貫通し之に沿うて数ケ所の住宅地を作成して家屋も建設され温泉も掘鑿され噴気孔から白煙を吐き須東忠三は昭和二十二年四、五月頃には該温泉を利用して製塩工場を設け、本件土地の周辺には多数の住家ありて殆んど総て住宅地を形成し、観光バス通過の際バスガールは此付近一帯を照波園住宅地と案内している程であつた。尤も本件土地内の所々に麦又は蔬菜の栽培されている部分もあるが夫れは全体から見て飛び飛びに散在する丈けであるから何人も本件土地を農地と言ふ人はない状態にあることが認められる。本件土地の一部数ケ所に麦畑、蔬菜畑が散在して居ても之を農地と観ることは無理ではあるまいか、検証調書添付の写真十葉記録九〇丁乃至九五丁に貼付によりても明らかである。(2)  本件土地は前陳の如く梅谷清一が住宅地とするため払下げを受けて個人として区画整理をした土地であるが同人の妻の弟に当る判示和田文吾(大正末期の中津出身の紡績業で産をなした和田豊治の息)に於て買受け温泉があるところから文吾の母の隠居家を建てる計画中のところ戦災で東京の住宅が焼け、住む家がなく其住家建設資金の為め右土地を売却することとなり被告人の妻絢子が和田文吾と近親の間柄にある関係上須東忠三から被告人方――寧絢子に対してと思はる――に買受け方を申入れたから被告人家としては購入せんとしたところ農地法等面到なことがあるので、被告人は須東に対し宅地であつて宅地としての登記が出来れば買入れるが農地ならば買入れないと答へた、そこで須東としては土地は現在区画整理済であるから直ちに宅地になるからとて購入をすゝめ和田から登記委任状の送付を受けて被告人に交付したので被告人は須東及び被告人方に久しく病院の会計係として雇入れて居た原審証人永松桂七をして手続せしめ、宅地としての所有権移転登記終了したので之を被告人の妻絢子に於て買受け代金二十四万円を小切手にて和田に送金して之が売買を了したのである。当時本件土地の一部は原審証人木下務がその父木下要市を経て和田から借受け麦を耕作して居た程であるから、若し農地であつたら被告人の妻に於て一時に二十四万円を投じて本件土地を買受くべき筋合のものでなかつたことが窺はれる。住宅建設に使用され得る宅地と信じたればこそ二十四万円で買入れたのである。尚納税関係から見ても地目は田、畑の時代から引続き宅地としての租税を賦課されて納付して来た事迹に徴しても、市又は税務署に於ても宅地と見て取扱つて居つたことが認められる。(3)  検証第二号乃至第六号の土地登記簿謄本によれば本件土地は元学校地となつて居たのが、後地目を変換して田又は畑に変換され昭和二十二年六月には宅地となつて居る――本件売買の行はれたのは昭和二十二年六月下旬である。(4)  亀川農地委員会は本件土地を農地と認めて居るようであるが原審証人山村定(別府市吏員)の証言によれば宅地と農地とを区別すべき標準はなく唯農地委員が常識を以て判定することになつて居るので問題はその委員の頭脳の如何にある。吾人の常識は前記(1) (2) (3) 所論のような事情と後述の一、二の事情から推考する場合本件土地を宅地にあらずして農地なりと認めることを許さない。御庁の冷厳なる御判断に俟たんとす。殊に大分県告示第一〇七号(記録一四二丁)、被第一号別農地第二七一号昭和二十六年五月二十一日別府市長より大分地方裁判所旧杵勉宛書面(記録一四一丁)の各記載を綜合すれば大分県知事は昭和二十四年三月二十五日本件土地を都市計画法第十二条第一項に基く自作農創設特別措置法第五条第四号に依る都市計画施行地域として指定した事実が認められるから本件売買当時に於ては実質上本件土地は住宅地域と認められて居ることが看取される。(5)  原審証人加藤廉一(亀川農地委員)同須東忠三(昭和二十六年二月二十一日尋問分)同西半治(大分県農地協会嘱託)同久恒半治(三菱寮管理人)の各証言によれば同人等は本件土地をその現況、将来の計劃等に徴し農地にあらずして宅地と認めて居たことが認められる。尚和田文吾に対する検察官の昭和二十四年十二月九日付供述調書の供述記載と記録四四丁の借用証書の写を綜合すれば本件土地は和田が梅谷清一から買受けたものであるが木下務の父木下要市は元梅谷方の雑役夫であつた関係から本件土地の中の空地の一部を和田が他の用途(宅地とするためと認められる)に使用する場合は何等の苦情を申出でず、その請求次第一時使用のために貸与して居た事実が認められるから此点から推考しても亦和田のその他の供述部分に徴しても同人は本件土地が田、畑の地目であつたのは税金の関係からであつて和田としては本件土地を宅地と信じて所有して来て居たことが認められる。

以上(1) 乃至(5) により本件土地は宅地であつて被告人としても亦売渡人和田としても宅地として売買されたものと認むべきものであるに拘らず原判決が之を農地と認定して被告人を処罰したのは判決に影響を及ぼすべき事実の誤認あるに帰し、原判決は此一点に於て破棄さるべきものと信ずる。

第二点原判決は法令の解釈を誤つて被告人に刑を科した違法がある、即ち農地調整法第二条に規定せる農地とは第一点所論のように解すべきものであるのに原判決が本件土地を農地であると解釈したのは外部から窺い知ることは許されないが恐らく亀川農地委員会が何等の根拠なくして本件土地を農地として判断したことと本件土地内に飛び飛びに麦又は蔬菜が栽培されて居る現況により認定したものではあるまいか。その認定の根拠は兎も角本件に表はれた資料のみにより本件土地を農地と解釈したのは結局前示第二条所定の農地の意義の解釈を誤つたものと謂うべく従つて原判決は此点に於ても破棄を免かれないのではあるまいか。

第三点原判決には審理不尽竝事実誤認の違法があつて、その誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかである。凡そ刑事事件は客観的事実を対象として審理処罰さるべきこと勿論であるが、本件土地の買主は実際は被告人でなくして被告人の妻粟絢子であつて此事実は客観的に動かすことの出来ない押検第二号(和田文吾名義粟絢子宛金二十四万円の領収証及検第二号乃至第六号の土地登記簿謄本の各記載によりて優に認め得るところで、此等の領収証の宛名又は登記簿謄本中にある粟絢子の宛名又は粟絢子に対し所有権移転がなされたことが不実であると認むるに足るべき資料に本件に存在せないのである。尤も被告人は検察庁に於ても原審公判に於ても此点に付て何等の弁明をなさずして自ら買受けたもののように供述したのは不用意と言うよりも寧買受けの交渉は被告人がなしたもので若し刑責ありとすれば自己に於て負荷すべく、妻にその責任を転嫁するが如き弁解を敢てすることが良心上許されないと思惟した為ではあるまいか。被告人が弁解せない以上原裁判所としては已むを得なかつたとも言えるが右の如く押検第二号竝検第二号乃至六号が存在する以上裁判所としては職権を以て審理して事実の真相を法廷に顕現せしむべきではなかつたではあるまいか。若し客観的に買主を絢子とすれば被告人に刑責を負荷せしむるは不当であるから原判決は審理不尽竝事実誤認の違法あるに帰するものではあるまいか。

第四点原判決は採証の法則に違背して罪となるべき事実を認定した違法がある。即ち、被告人は原審公判に於て終始一貫本件土地は宅地として買受けたものであると弁明主張したところ原判決は之を容れずして、第一点冒頭所掲の犯罪事実を認め、その証拠説明として「一、(1) 登記簿謄本(検第二号乃至第七号)一、(2) 和田太郎事和田文吾の検察官に対する供述調書(検第十四号)一、(3) 永松桂七の検察事務官に対する供述調書(検第十五号)一、(4) 証人木下務が当公廷でした供述一、(5) 証人伊藤遠治が当公廷でした供述一、(6) 検証調書(昭和二十六年二月二十八日附)を総合して之を認める」と説示して居る。ところが、右一、(1) 一、(2) によりては本件土地の農地であることは認められず寧之によりては本件土地が宅地として売買されたものと認むべきこと第一点の(3) 、及び第四点の後半に於て論証した通りである。又一、(3) によりては永松桂七が被告人方の病院の会計係として勤務中粟の命により本件土地の地目変換の手続をした事実を認め得るに止まり右争点の判定に付ては何等の証拠力はない。次に一、(4) の木下務は和田文吾に対する検察官の供述調書の記載と記録四四丁の借用証の写及原審証人加藤廉一の供述を総合して認められる同人の父要市が本件土地の内田七畝二十三歩を和田の入用次第直に返還すべきことを約束して一時の使用を許され居りしに過ぎざるに拘らずその小作権を確保すべく本件土地の地目変換竝本件土地の売買により本件土地全部に小作権ありと主張し被告人を公文書偽造行使罪により告訴し、その前に亀川農地委員会に対し被告人の地目変換登記は公文書偽造なりと申出て且和田及絢子に対し小作権確認等の民事訴訟を提起して居る人物であるから同人の証言は本件犯行の肯定否定の判断の資料に供することは不当である。又一、(5) によりては同証人が検第九号を作成したと言うに止まりその書面も前陳亀川農地委員会に於て本件土地を農地と認めた結果を作成したに過ぎずして同委員会の右判定に何等の権威ないことは第一点に於て論証した通りで争点判断に付ての有力の証拠となり得ない。尚一、(6) によりては寧本件土地を宅地と認め得べき資料となること第一点の(1) に詳論した通りである。ところが原判決が此等の資料のみによりて判示事実を認定したのは条理に基く証拠資料の内容の検討を十分にせず、証拠能力を確むることなきは勿論その真否の検討を怠つて之を証拠としたことは結局採証の法則に反した違法あるもので原判決は此点に於ても破毀を免かれない。

第五点叙上の所論悉く理由なく仮りに本件土地が客観的に見て農地であるとしたら被告人としては飽迄之を宅地であると信じて居たことは右所論により明らかであつて、被告人が主観的にも本件土地を農地であると認識して之を買受けたものと認むべき積極的の証拠は存在せないから、被告人が本件土地を宅地と信じたのは犯罪構成要件たる土地に対する錯誤に陥つて居たもので事実の錯誤となり犯意を阻却する。殊に被告人は須東忠三から本件土地の購入を勧められた時宅地として登記が出来れば買受けるが農地としては買受けないと明言したるにその後土地の反目は登記簿上宅地に変換されたので之を買受け絢子名義に所有権移転登記を受けたことは検第二号乃至第六号で明らかであるから、被告人としては右登記簿の記載を信じて買受けたものであるから仮りにその土地が農地であつたとしたも被告人の右錯誤には何等の過失もないから、刑法第三十八条第一項本文に則り犯意を阻却するものとして無罪の判決あるべきものと信ずる。ところが原判決は被告人に於て農地たることの認識ありとして弁護人の錯誤の主張を排斥したのは違法であると信ずる。

堤弁護人の控訴趣意訂正申立

昭和二十七年二月二十八日付を以て弁護人から提出しました控訴趣意書中之が作成前被告人の意思を十分に聴取せなかつた為め事実関係を誤解して居た点があることを発見しましたから茲に同趣意書の記載文詞の一部を更正し且削除するため本書面を提出いたします。

(一)第一点の(2) (趣意書三枚目裏十行目十一行目)中「被告人家としてはの次に「被告人に於て結核療養のサナトリユウム経営の目的で」とある部分を削り、そのあとに、「被告人の妻絢子は被告人一家将来の居住竝生活を考慮して被告人とも相談して自己の特有財産を処分して住宅地経営の目的で」と加え尚同四枚目表十二行目に「病院」とあるを「住宅」と更正します。弁護人としては被告人が医師であることと原審第十二回(昭和二十六年十一月二日)公判に於ける証人須東忠三の供述調書中に於ける、「証人は和田文吾から亀川の土地を粟に売つて呉れと頼まれ昭和二十二年一、二月頃のことで和田の毋オイエが戦災の為、家を焼かれ住む所がないので家を建てる資金を土地を売つて作り度いと言うので粟に話したるに粟は自己の内科関係のサナトリアウム式の経営地にしたいと言いました。」とあるのと場所が海岸に近い(原審検証調書により)ので被告人に尋ねることもなく之を信じて前記のように誤解記述したのであります。被告人に尋ねたところ温泉地帯は湿気が多いのでサナトリユウム療法には寧不適当とのことであります。

(二)第三点中趣意書七枚目表十一行目より同裏二行目に亘る「殊に絢子は云々とある以下事例があつた」とある部分を削ります。これも右(一)の誤解によつて生じた弁護人の長崎在住時代の事例を引用して説明したものであります。

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